特別インタビュー

カツオ一本釣船に人生をかける
森下靖の想い

平常心で掴んだ日本一。
カツオ一本釣り船に人生をかける森下靖の想い

毎年繰り広げられるカツオ一本釣り漁船約50隻による、水揚額獲得レース(全国近海鰹一本釣り漁船漁獲高)。2018年は森下靖船頭率いる「第123佐賀明神丸」が日本一の座を獲得した。しかし、そこに至るまでは、苦難の連続。特に2016年には森下靖船頭率いる「第183佐賀明神丸」が炎上・沈没という事故まで起こる。そこから気持ち新たに挑戦した森下靖船頭に、漁師になるきっかけから日本一、そして今後の目標に至るまで話を伺った。

軽い気持ちで漁師の世界へ。すぐに厳しさを痛感

三人兄弟の末っ子として生まれ、2つ上の兄は株式会社明神食品の現在の代表取締役社長、森下 幸次。兄貴は俺より先に漁師をやっていた。親族の結婚式で久しぶりに会った時に自分も漁師になってもいいかなと軽い気持ちで話したら「やめとけ」と。そんな甘いもんじゃないとも。しかし、会に同席していたカツオ漁船の船頭には「荷物をまとめて数週間後に出航する船に乗れ」と言われ……(笑)当時は大阪の焼肉屋でアルバイトしていたのに、気づいたら数週間後には漁師になっていた感じで、最初から強い思い入れなんてなかったのが正直なところ。

そんな背景もあったからこそ、初めて漁に出て時にはすぐにこの仕事の大変さを痛感した。船頭は丘(陸上)にいる時と海の上では温度差が全然違い、まさに鬼気迫る感じで怒ってくるし、大漁時は3〜4時間もの間ずっとカツオを釣り続けることもある重労働。1回漁に出ると友達や家族にもなかなか会えないし、冬でもTシャツ1枚で作業し日焼けして真っ黒になって帰ってきてみんなに驚かれたりなんてことも。まぁ厳しいこと辛いことを挙げればキリがないけど、やっぱり釣れた瞬間は面白く中毒性のようなやりがいも感じていた。

しかし、漁師を始めたから4年経った時、兄の幸次が漁師を卒業すると決め船を降りることに。実はそのタイミングで俺も辞めようとも考えた。

腹をくくり日本一の船頭を目指す

兄貴が漁師を辞めた後、まだやれることはあると気持ちを入れ替え修行に励んだ。そして、34歳の時に船頭になるチャンスが巡ってきた。

これを逃すと一生後悔する。40代で日本一の船頭になりたいと目標を掲げても、力があるだけではなく運がなければトップにはなれない。その運を掴むのは今だと。

ただ、漁は一人でやるものではなく、通常では機関長、無線士、船長の3人は最低でも必要だが、今回は全くの0から仲間を集める必要があった。

兄の幸次とは、酒を飲みながら将来のビジョンを朝まで語り、「目的がお金だったらやめておけ」と言われたのはよく覚えている。2人とも一本釣り漁船漁獲高日本一の船に何年も乗った経験があったから、その道を究める大変さは十分すぎるほどわかっていた。一番を目指し、結果を出すのは簡単な道ではない。

それでも「やってやろう」と腹をくくったことが今に繋がっている。

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